(2)食育について
近年、「食育」という言葉をよく耳にするようになりました。この「食育」とは一体、どういったものなのでしょうか?何故、ここにきて「食育」がことさらに取り上げられ、注目されるようになったのか?紐解く鍵は現代の食料事情、そして時代背景。それは児童教育を語って行く上では、決して切り離して考えることができないキーワードでもあるようです。
2005年6月、政府により「食育基本法」が制定されました。従来までの教育指針は「知育」、「徳育」、「体育」の3つの指針を中心に行われてきましたが、同法の制定により以後は「食育」を加えた4つの指針の下に教育が行われるようになりました。
健全な心身を育んでいく上で「食」は全ての根底を支えているもの。「知育」、つまり国語、算数、理科、社会などの授業を受けていく上で、しっかりとした食事を取り一日の考える力を蓄えておかなければまともな知育は受けられませんし、心に余裕がなくなり「徳育(道徳教育)」にも悪い影響を及ぼしかねません。また、「体育」を受けていく上では食事を取って体力をつけなければ話にもなりません。
しかし残念ながら、現代の日本では満足いく「食育」がなされる環境が整っているとは言い難い状況でもあります。現代の日本は大多数の人達が食べる事には困らない社会となり、食べたいものがあれば、さして苦労もせずに口に入る豊かな環境となっています。しかし、それは裏を返せば満ち足りすぎた飽食の時代となってしまっているとも言い換えられます。
「いつでも好きな物が食べられる」。一見すると幸せな事のようにも思われますが、果たして本当に私達は幸せになったのでしょうか?いつでも好きな物が食べられることは、好きなものだけしか食べない子供を生み出し、例え家族団らんの場であったとしても、個々に違うものを食べることが許されてしまいます。また家族構成、社会の流れから致し方のないことではありますが、ファーストフードなどのジャンクフードの流通は子供が外で一人で食事をすることを可能にしてしまいました。
食べることに困らない事は素晴らしいことです。しかし、一昔前の家族団らんの食卓を思い出す時、果たしてその場にあったものは、すっかりと失われてしまいました。あの食卓にあったものとは、母親の手作りの料理であり、家族の会話であり、時間の共有でした。そこには「好き嫌い」をたしなめる母親の言葉があり、素朴ながらも栄養の偏らない食事、家族が向き合う事で生まれる会話と意志の疎通、そして何よりも食卓を囲む時間は、家庭での教育の貴重な時間であったはずなのです。
ことさらに「食育」などと言い立ててしまうと大袈裟に感じますが、実は昔から、どこの家庭にもある一つの風景のことなんじゃないでしょうか?先ずは1週間に1日でも、1時間でも「食卓」を囲む時間を作ってみてはいかがでしょうか?それは短い時間でも、きっと大きな意義を持つはずです。
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